歴史と自然の町、長野県・立科へ行こう!に関するニュースまとめ一覧

Presented by 立科町教育委員会×手書き地図推進委員会

長野県北佐久郡立科町(ながのけんきたさくぐんたてしなまち)は、長野県の東、北佐久郡の西端にあります。江戸時代の五街道の1つ中山道(なかせんどう)、さまざまな遺跡が発掘された古東山道(ことうさんどう)など、日本の歴史が残る立科町を知り尽くしている「達人たち」に、親子で学びながら楽しめるおすすめの場所や、歴史を教えてもらいました。

笠取峠のマツ並木 たてしなの農業と酪農 中山道(なかせんどう) 信玄棒道(しんげんぼうみち)・女神湖 古東山道(ことうさんどう) 蓼科山(たてしなやま) 立科町へのアクセス 立科うわさMap・音声ガイド

住民参加の手書き地図「立科うわさMAP」

この手書き地図は、2016年9月から10月に実施した地域住民参加型のワークショップの参加者からの情報を元に作成されました。地方創生加速化交付金事業、立科町まるごと体験事業として取り組んでいます。

立科うわさMAP

音声ガイドのご紹介

立科の名所やお勧めの場所約250か所をご案内する「音声ガイド」を貸し出しています。GPS機能で、観光名所やうわさになっている場所に近づくと、実際にその場所で、目で見て、匂いを感じて、肌で触れ、体感しながらガイドを聞く事ができます。

貸し出し価格:500円(予定)
貸し出し場所:立科町商工会、蓼科白樺高原観光協会(予定)

音声ガイド

立科においでよ

長野県立科町へのアクセス情報

自動車で
東京方面から
練馬I.C→(関越道)→藤岡JCT→(上信越自動車道)→佐久小諸JCT→(中部横断自動車道)→佐久南I.C→(国道142号)→立科町高井戸ランプ→(中央自動車道)→諏訪南I.C→(八ヶ岳エコーライン)→(国道152号)→立科町
名古屋方面から
小牧JCT→(中央自動車道)→岡谷JCT→(長野自動車道)→岡谷I.C→(国道142号)→立科町
公共交通機関で
東京方面から
東京駅→(JR・北陸新幹線)→佐久平駅→(千曲バス・中仙道線)→立科町役場前バス停
名古屋方面から
名古屋駅→(JR・中央本線)→茅野駅→(アルピコ交通)→東白樺湖バス停→(たてしなスマイル交通・シラカバ線)→立科町役場前バス停

笠取峠のマツ並木

笠取峠のマツ並木

徳川秀忠が、慶長九年(1604)街道の改修、一里塚の設置とともに街道に樹木を植えさせて松並木をつくったと言われ、中には樹齢150年以上経た松の木も残っています。江戸を目指す旅人が、この道から見える浅間山の美しさに、思わず頭にかぶっている笠を取り、眺めたことから「笠取峠」と言われているという説があります。

たてしなの達人に聞こう

市川正彦先生

立科町教育委員会教育次長

市川正彦 先生

武重公大先生

立科町教育委員会教育次長

立科町教育委員会社会教育課文化財担当

武重公大 先生

中山道、芦田宿の西側から笠取峠に続く2kmほどの松並木は散歩に最適なコースです。松の木々のすき間から空を見上げ、京都から江戸を目指した旅人に思いを馳せると、江戸時代にタイムスリップした気分になります。153本ある松のうち49本は古くからあるもの。町の人が代々大切に保存してきました。昭和49年(1974年)に長野県の天然記念物に指定されましたが、人が植えた物が天然記念物というのは珍しいんです。530㎞の中山道で松並木が残っているのはここだけです。これからも永く保存できるよう種からアカ松を育てる保存計画を考えているところです。松並木には野生の野ウサギやリスなど、さまざまな生き物も時々顔を出しておもてなしいたします。顔を出す動物といえば、中山道から少し離れますが、冠者社(かんじゃしゃ)という神社には、犬の幽霊まで顔を出すというウワサも…。

たてしなの農業と酪農

たてしなの農業と酪農

その昔、六川長三郎が蓼科山の麓から湧き出る水を引くため立科に水路を作ったおかげで、豊かな土壌が広がり、今でも農業や酪農が盛んです。都心部からの車でのアクセスもよく、車窓から四季折々の風景を楽しみ、地元で採れたての野菜やリンゴ、蓼科牛を味わうことができます。小学校の遠足での収穫体験、スローライフを考える方のための移住体験メニューなども充実しています。

たてしなの達人に聞こう

荻原邦久先生

立科町教育委員会公民館長

荻原邦久 先生

立科で育ったりんご「フジ」は世界一のおいしさと蜜の量だと思います。桜が終わるとリンゴの花が見ごろを迎え、4月から5月にかけて満開のリンゴの花を楽しむことができます。丁寧に摘果(読み方:てきか…花を間引いて、栄養分を集中させること)を行うのでリンゴの蜜の量が多くておいしいんです。有名なブランド「五輪久保(ごりんくぼ)りんご」も立科町から生まれました。立科で育つコシヒカリもおいしいです。軟質の水と粘土質の大地は美味しいお米の栽培に適しているんです。種もみの生産量・質ともに県内一です。豊かな水と土からお米が育ち、稲から作られる藁を牛が食べ、牛からいただいた「たい肥」でリンゴや野菜が美味しく育ち、立科に来ていただく皆さんを、美味しいお料理でおもてなしできる、という良い流れができているんです。立科町は年間雨量が少なく、平成25年(2013年)5月には晴天率日本一を記録しました。晴れている事が多く、空気も澄んでいるので綺麗な星空も自慢です。一面の田んぼしかない場所で寝そべって見るのがオススメです。ホタルもあちこちで見られます。

中山道(なかせんどう)

中山道(なかせんどう)

1601年から徳川家康が整備し始めた江戸・日本橋を起点とした主要道路「五街道」の1つが中山道です。宿場(しゅくば)が集まる中山道六十九次では、いくつかの宿場で現在も旅籠(はたご)が大切に残され、営業もしています。写真の金丸土屋旅館は江戸時代から残る旗籠で、昔の旅人が宿泊した部屋に今でも宿泊が可能。宿泊した方だけにお宝を見せてくれるというウワサも。

※豆知識:五街道の他4つは「東海道」「日光街道」「奥州街道」「甲州街道」です。

たてしなの達人に聞こう

宮坂晃先生

立科町教育委員会 委員長

宮坂晃 先生

中山道は十四代将軍徳川家茂の正室・和宮(かずのみや)が嫁入りするときに、30,000人が連なり、京都から江戸まで歩いた、という伝説があります。2016年10月に開催した「中山道ウォーキング」には県外の方を中心に150名が参加し、笠取峠マツ並木から、江戸の宿場として賑わった芦田宿を通り、茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)まで歩きました。和宮が召し上がったお膳の材料が古文書に残されており、その材料をもとに再現したお膳を昼食でいただきました。道中、町の人々が応援に駆けつけてお団子やお菓子の振る舞いもありました。ゴール近くの武重本家酒造と大澤酒蔵では、いろいろな種類のお酒の試飲が楽しめ、お蕎麦の振る舞いもあり大変盛り上がりました。笠取峠から4kmほどの道のりをゆっくり歩くので、大人から子供まで楽しんでいただけると思います。このあたりには地元の人が通う美味しいお店があります。役場前の「ときん亭」の450円で食べられるお蕎麦は特に新そばの時期がおすすめです。陣内森林公園内にある「歩歩歩」(さんぽ)は採れたて新鮮の岩魚でつくるいわな天丼、蓼科高校前の「学校前食堂」の看板メニューの自家製味噌を使った野菜たっぷりの味噌ラーメンがオススメです。

信玄棒道(しんげんぼうみち)・女神湖

信玄棒道(しんげんぼうみち)・女神湖

女神湖は蓼科山を眺める最高のスポット。緑に囲まれた広い湖では、カヌーやカヤックを体験できます。行楽シーズンは親子やカップルでゆっくりとボートを漕いで景色を眺めたり、冬は氷上ドライブ、周辺の雪道ではスノーシューを楽しむこともできます。湖の周囲にはたくさんのホテルやペンションがあり、美味しいお料理や温かいおもてなしでお迎えします。

※豆知識:白樺高原には分水嶺(読み方:ぶんすいれい…山の水の流れが、日本海と太平洋に分かれる場所)があります。

たてしなの達人に聞こう

宮坂晃先生

立科町教育委員会 委員長

宮坂晃 先生

武田信玄が信濃攻略のためにつくった軍隊道路が「信玄棒道」で、棒のようにまっすぐ伸びていることからこの名が付きました。信玄棒道が通っていたと思われる場所から少し北にある女神湖には、あまり知られていない「かっぱ伝説」があるんです。その昔、女神湖(当時は赤沼と呼ばれていました)に住むいたずら好きのかっぱの河太郎は、毎日のように子どもに化けて、女神湖のそばにある「かぎ引き石」に座り、通りすがりの人に声をかけ、「かぎ引き」(指と指をからめ引き合う指相撲)を誘っては、湖の中に引きずりこんでいたそうです。ある日、それを知った力持ちのサムライ、諏訪頼遠(すわよりとう)は河太郎をこらしめようと、馬に乗ったまま、河太郎にかぎ引きを挑みました。河太郎がかぎ引きのために手を伸ばした瞬間、頼遠は河太郎の腕をにぎり、馬を走らせ石の多い峠を引きずり回しました。河太郎はぐったりし、もう悪いことはしない、命を助けてくれるなら今夜のうちに湖を去ると約束しました。すると、翌朝、なんと河太郎は湖の水ごといなくなっていたそうです。その日、隣町の長和町に一夜で池ができていて、そこに河太郎が引っ越したと言われています。その後、女神湖にはまた水がたまっているので、もうそろそろ帰ってくるかも…?というウワサがあります。河太郎が武田信玄率いる武田騎馬軍団にもかぎ引き勝負を挑んだのかは謎です。

古東山道(ことうさんどう)

古東山道(ことうさんどう)

雨境峠の「鳴石」(なるいし)は町指定文化財で、パワースポットでもあり、昔から多くの人が訪れています。車などはもちろん無く、道の整備もほとんどされてない太古、峠を越えて旅するということは命がけでした。峠を越える旅人たちが、道に迷ったり、悪天候や山賊、けものなどに襲われたりして命を落とさないよう、鳴石で山の神にお供えをして祈りをささげ、旅の安全を祈ったと言われています。2つの石が鏡餅状に重なり合った直径は3mの大きな磐石です。

たてしなの達人に聞こう

宮坂晃先生

立科町教育委員会 委員長

宮坂晃 先生

立科町を通る古東山道は10kmほどになりますが、この道そのものすべてが「遺跡」です。古墳時代に大和朝廷のヤマトタケルが東国を支配するためにつくられた軍用道路と言われています。たくさんの祭祀遺跡(さいしいせき)が見つかり、めずらしい勾玉や、鉄製の蕨手刀が発掘されました。日本各地で発掘された鉄製の蕨手刀は220本ありますが、そのうち3本はここで見つかったものです。銅製の蕨手刀剣は日本各地でたくさん発掘されていますが、鉄製の剣はとても珍しいものなんです。当時、鉄は大変貴重なものだったので。よほど地位の高い人のものだったと思います。立科で発掘された鉄製の蕨手刀3本のうち1本は東京国立博物館の「表慶館」に展示されています。立科町には1つも保管されていないので、都心部の人の方が観に行きやすく羨ましいです。立科町公民館では土器や土偶などの発掘物を展示しています。ぜひお気軽にお立ち寄りください。そしてずっと昔に誰かが使っていた道具から日本の歴史を学んでみてください。

蓼科山(たてしなやま)

蓼科山(たてしなやま)

「諏訪富士」「女の神山」(めのかみやま)と呼ばれるほど富士山のような優雅できれいな形をしている蓼科山は女神が住む山として信仰の対象になってきました。標高2,530m、八ヶ岳のなかでは単独で百名山になっていることから存在感があります。山頂まで2時間ほどで登れる七合目登山口ルートは、大きな駐車場があるのでマイカー利用や気軽な日帰り登山、子ども連れにもおすすめです。

※豆知識:町名には当用漢字を使わなければならないため「立科町」、山の名前は当用漢字以外も使用可能なので「蓼科山」と書きます。

たてしなの達人に聞こう

宮坂晃先生

立科町教育委員会 委員長

宮坂晃 先生

蓼科山の中腹、標高1,830mに位置し、総面積169ha、東京ドーム36個分におよぶ広大な「御泉水自然園」(ごせんすいしぜんえん)は、美しく神秘的で立科町が誇る自然の楽園で、八ヶ岳中信高原国定公園の中にあります。原生林に囲まれ、苔むした朽木や、珍しい地衣類サルオガセ群生地、約300種類の高山植物など、幻想的な世界が広がっています。約46種類の野鳥が生息しているのでバードウォッチングも楽しめます。美しい湧き水のカラマツ池には、金色(アルビノ)のニジマスが生息していて、見た人は幸せになると言われています。カップルで鐘を鳴らすと幸せになれる恋人の聖地の鐘、ゴンドラの先にある日本一景色の良いトイレも、白樺高原に来たからには記念に一度は利用してみてほしいです。見どころだらけの場所ですが、なんと、UFOの目撃情報がある場所もあるのです。空を見上げると不思議な動きをする飛行物体に遭遇することがあるかもしれませんね?ペンションやリゾートホテルも多く、キノコ博士、山菜博士、星空博士、さまざまな達人も潜んでいます。ゆっくりのんびり過ごしてほしい場所です。

立科町公式サイト

歴史と自然の町、長野県・立科へ行こう!特集 最新記事

もっと見る