東京医科大学は2025年11月11日、同大学組織・神経解剖学分野の篠原広志講師と髙橋宗春主任教授が、脳の記憶中枢である海馬の形成過程において、これまで知られていなかった「先駆型」の神経前駆細胞集団を発見したと発表した。独自に確立した遺伝子導入技術により、海馬の土台を早期に形成する細胞の役割を世界で初めて解明した。この成果は発達障害などの原因究明につながる。
海馬は記憶や学習に欠かせない脳の部位であり、その形成メカニズムの解明は、発達障害や認知症、統合失調症、てんかんなど、さまざまな精神・神経疾患の原因究明に不可欠とされている。アルツハイマー病で最初に障害を受ける部位であるほか、うつ病やPTSDでも形態・機能異常が報告されている。特に胎児期の海馬形成異常は、てんかんや統合失調症、自閉症スペクトラム障害との関連が知られているが、海馬がどのように形成されるかについては、まだ多くの謎が残されていた。
これまでの研究は、特定の遺伝子を発現する細胞のみを追跡する手法が主流で、未知の細胞群を見逃す限界があった。また、海馬は脳の深部に位置し、複雑な立体構造をもつため、従来の遺伝子導入技術では狙った細胞を正確に標識することがきわめて困難だった。
研究グループは、10年以上の試行錯誤の末、マウス胎仔の海馬に直接遺伝子を導入する「子宮内電気穿孔法」を海馬研究に最適化することに成功した。電極の角度を1度単位で微調整し、電圧やパルス幅などの組合せを数百通り試すなど、膨大な条件検討を経て、再現性のある手法を確立。これにより、特定の遺伝子発現に頼らず、位置と時期だけで細胞を標識できるようになり、これまで見過ごされてきた細胞集団の発見につながった。
同手法を用いて、胎生12.5日目という極めて早い発生段階で標識した細胞を追跡した結果、従来知られていた神経幹細胞とは異なる振る舞いをする「先駆型」の細胞集団を発見した。この細胞群は、通常の神経幹細胞よりも速やかに成熟した神経細胞(顆粒細胞)へと分化し、海馬の基本構造を形作る「礎石」のような役割を果たしていることが明らかになった。
さらに、蛍光タンパク質を発現する遺伝子改変マウス(Gfap-GFPマウス)と組合せることで、1匹のマウスの中で2種類の細胞集団を同時に可視化する「二重可視化システム」を確立。これにより、役割の異なる2つの細胞集団の存在を証明した。
(1)先駆型細胞(E12.5標識細胞)
海馬の外側から内側へと移動しながら、速やかに成熟した神経細胞となり、海馬歯状回の基本的な礎石を形成する。全体の約61%が神経細胞になる。
(2)神経幹細胞(Gfap陽性細胞)
ゆっくりと分化し、多くは未分化な状態を保ちながら、生後も神経新生を続ける幹細胞プールを形成する。約23%のみが神経細胞になる。
今回発見された先駆型の神経前駆細胞は、海馬形成の初期段階を担うことから、発達障害や精神疾患の新たな治療標的となる可能性がある。特に、胎児期の環境要因(母体のストレス、感染、栄養状態など)がこの細胞にどのような影響を与えるかを解明することで、予防医学的なアプローチの開発にもつながることが期待される。
研究グループは現在、同研究で確立した技術をさらに発展させ、海馬の特定部位・発生時期だけを狙い撃ちできる次世代技術の開発を進めている。この細胞集団を制御する分子メカニズムを解明することで、将来的には損傷した海馬を再生する再生医療や、加齢にともなう記憶力低下を改善する治療法の開発に貢献する可能性もあるという。
この研究成果は、2025年11月6日付で、国際神経科学専門誌「Cellular and Molecular Neurobiology」に掲載された。論文タイトルは「In Utero Electroporation Uncovers an Early‑Differentiating Subset of Dentate Gyrus Progenitors」。

