「東大は自分とは関係ない場所」「自分には無理」──そう感じている中高生は少なくない。女性学生の少なさ、地方と都市部の格差、心理的ハードルなど、さまざまな"壁"が全国の優秀な高校生の挑戦を阻んでいる。
東大は“壁”を取り払い、全国、そして世界から選ばれる大学になれるのか。
SAPIX YOZEMI GROUP共同代表の髙宮敏郎氏が副学長の佐藤薫教授との対談を通じて、東大が進めるDEI(多様性・公平性・包摂性)施策に迫った。
東京大学副学長・大学院理学系研究科(地球惑星科学専攻)佐藤薫教授
1984年東京大学理学部地球物理学科卒業。1986年同大学院理学系研究科修士課程地球物理学専攻修了。企業に就職後、1988年京都大学大学院理学研究科博士課程地球物理学専攻編入学、1991年同修了、理学博士。専門は気象学。2026年4月より、副学長および多様性包摂共創センター長を務める。
SAPIX YOZEMI GROUP共同代表 髙宮敏郎氏
1997年慶應義塾大学経済学部卒業。三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)に入社。2000年学校法人高宮学園 代々木ゼミナールに入職。同年アメリカ・ペンシルベニア大学へ留学し、教育学博士(大学経営学)を取得。帰国後、財務統括責任者を務め、2009年より現職。高宮学園 代々木ゼミナール副理事長、SAPIX小学部などを運営する日本入試センター代表取締役副社長も兼務。
女性2割、地方出身4割未満…東大受験を阻む"壁"
髙宮氏:東大は2027年に創立150周年を迎えます。次の150年に向けて、大学の多様性は重要なテーマのひとつだと思いますが、現状として女性学生比率は2割前後と依然として低い状況にあります。さらに出身地では、関東(1都6県)出身者の割合が約6割、東京出身者が3割以上を占め、近畿も含めたその他地区の割合は20年前の過半数から大きく減少しています。副学長としてDEIを所轄されている佐藤先生は、こうした"壁"の構造をどう分析されていますか。

佐藤副学長:東大の場合、入試の受験者に対する合格者の割合は男女でほとんど差はありません。つまり、女性の割合が約2割なのは、「東大を受験しよう」という女性の志願者が約2割にとどまっているからです。また、地方出身の女性学生は少ないです。これには複合的な要因があると思いますが、地方の女子高校生が置かれた環境の影響は大きいでしょう。「娘を1人で東京に出すのは心配」「できれば実家のそばにいてほしい」など、保護者の地元志向が強く、周囲からのブレーキがかかりやすい傾向にあります。
地方出身者が少ない理由には、物理的な距離だけではなく、東大が視野に入りにくいという心理的な距離もあると思います。私は子供のころ福島県に住んでいたのですが、周囲に東大出身の人はいなかったので、東大を目指すという意識はもっていませんでした。また、理系科目が得意だと、地元の国公立の医学部を目指すケースも多いようです。物理的な距離もありますが、心理的な距離をもっと縮めることが必要だと考えています。

髙宮氏:特に学生数の多い工学部は女性比率が低いため、結果的に全体としての女性比率を押し下げているという側面もあるでしょうね。
佐藤副学長:私は理学部の教員でもあるので、もっとたくさんの女性に来てほしいという思いを強く抱き続けているのですが、髙宮さんは塾・予備校というお立場から見て、優秀でありながら東大受験をためらう生徒さんの実態をどのように捉えていらっしゃいますか。
髙宮氏: SAPIX YOZEMI GROUPでは以前からこのテーマには重要な課題として取り組んでおり、さまざまなデータを分析しています。それを見ると、旧帝大のある地域からは東大への志願者が少ない傾向があるなど、今なお「地元の国立大学で十分」という選択がなされやすいことが要因として考えられます。
こうした地域差の背景には、佐藤先生が経験されたように、周囲の受験環境も大きく影響していると感じます。よく「受験は団体戦」と言われますが、毎年多くの東大合格者を輩出するような高校にいれば、「この位置にいれば受かる」「クラスメイトと切磋琢磨しながら目指せる」など、東大が特別な存在ではなく現実的な選択肢として捉えられます。ところが、周囲に東大合格者がいない環境だと、生徒も教員も東大を身近に感じられず、受験のハードルが高く感じられてしまいます。

過去に代々木ゼミナールが、地域医療の崩壊という課題に直面した青森県の自治体に講師を派遣するプロジェクトを行い、東大や国公立医学部への進学者を送り出すことができましたが、現地で教えた講師陣が口を揃えて言ったのは、「素晴らしい素材をもちながら、目標に対しての距離感が掴めていない」ということでした。
その結果、本来なら合格できる力がありながら、早期に志望校を下げてしまう。模試でD判定やE判定が出た時、合格実績のある学校の生徒なら「判定が悪くても合格した先輩がいる」と踏ん張れますが、そうした環境にない生徒はそこで諦めてしまいがちです。あと半年、1年頑張れば十分東大に合格できる力があるのに、現役志向やリスク回避から「現役で間に合う大学」を選んでしまうのです。
大学に多様性が必要な理由…居心地の良さが生む落とし穴
髙宮氏:東大を目指す人が特定の地域や環境に偏るのは、多様性の課題でもあります。多様性は世界の主要な大学ランキングで重要な要素のひとつとみなされますが、そもそもなぜ大学に多様性が必要なのでしょうか。
佐藤副学長: 言うまでもなく社会の半分は女性ですし、多様な人々が存在します。ところが従来の社会システムは基本的に「健常な男性」を基準として作られてきました。たとえば医薬品の開発においては、従来の治験は参加者が男性中心で、女性の身体反応のデータは少ない、そのため女性にとっては期待されるほどの効果が得られないことがあるといった課題が指摘されています。ただし、多様性を確保するために女性を含めるとしても、女性にも多様な方がいるので、ごく少数では十分ではありません。
髙宮氏:私もアメリカの大学院へ留学した際に経験しましたが、性別に限らず多様性がある環境では、自分がそれまで当たり前だと思っていたことが通じない。その都度言葉を尽くして説明しなければならず、決して居心地の良い環境とは言い難いものです。しかし裏を返せば、似たような考え方の人ばかりだと見落としがちな課題やリスクに気付きやすくなり、結果として今までにない新しい価値を生み出せるという利点もありますね。
佐藤副学長:おっしゃるとおりです。ですから、教育という観点で見れば、均質性の高い環境で、自分とは異なる経験をした人とほとんど交流のないまま居心地の良い仲間とだけ過ごすのは、学び損ねる何かがあると考えるべきでしょう。
男性に偏った世界しか知らないと、無意識のうちに女性に対して不適切な発言をしてしまうことも少なくありません。すでに世界中で多くの女性が活躍していますから、東大生が卒業後グローバルに活躍するためにも、多様な仲間と日常を過ごす中で、自然に社会性を身に付けることが不可欠です。

もちろん、多様性の課題は性差だけではありません。性的マイノリティやエスニシティ(民族性)、障害者についても同様です。多様な人にあわせて社会を設計すれば、誰もが自分のもつ能力を存分に発揮できるはずです。
世界トップ大学では女性が約半数…3割で居心地が変わる
髙宮氏:東大には2024年4月に「多様性包摂共創センター(愛称:IncluDE)」が設立されました。佐藤先生は現在センター長を務められていますが、これはどのような組織なのですか。
佐藤副学長: 「IncluDE」は、それまで別々に活動していた「男女共同参画室」と「バリアフリー支援室」を統合した「DEI実践部門」、学内のDEI研究者と連携する「研究部門」、そして実践と研究の相互循環を担う「戦略室」の3部門体制で発足しました。DEI研究の最前線の知見を実践に生かすだけでなく、研修コンテンツを開発し、将来的には学外への提供も検討しています。
もっとも、東大の多様性への取組みには長い歴史があります。男女共同参画は理学系研究科からスタートし、そのノウハウを全学に展開する形で2006年に本格的な取組みが始まりました。それから約20年が経ち、女性教員は少しずつ増えてきていますが、冒頭にご指摘があったとおり、学生の女性比率はなかなか2割を超えません。
髙宮氏:「クリティカル・マス」という概念は、もともとは物理学で核分裂を持続させるために最低限必要な量を示す用語ですが、集団の中で、少数派が組織文化や意思決定に影響力を与えられるようになる比率としても使われます。この水準には諸説あるものの、国際機関や各国政府機関では30%という数値が重視されていますね。
佐藤副学長:実は私自身もそれを実感した経験があります。私が東大の理科一類に入学した1984年は、1092名の入学者のうち女性は18人で2%にも満たない比率でした。ところが京大の博士課程に進んでしばらく経ったころ、研究室の雰囲気や会話の内容がガラリと変わったことに気が付いたんです。研究室での雑談も野球や麻雀、競馬ではなく、ファッションだとか多様な話題になっていて。
髙宮氏:確かに、それは雰囲気が一変しますね。「そのシャツの色いいね」とか(笑)。

佐藤副学長:本当にそんな感じでした。「どうしてこんなに居心地が良いのだろう?」と不思議に思って(笑)、女性の数を数えたら、全体の3割になっていました。
髙宮氏:国際的に見ると、アメリカやイギリスをはじめ、世界の一流大学の多くで女性比率は約半数です。東大は理科一類の定員が全体の3分の1を占めるため、男性の比率が高くなるのはやむを得ないという捉え方もあるようですが、世界トップのMIT(マサチューセッツ工科大学)やCaltech(カリフォルニア工科大学)でも女性は約半数です。
佐藤副学長:隣国である韓国のトップ大学でも女性学生比率は東大よりも高く、世界的には4割を超えるトップ大学が少なくありません。ですから東大としては、まずは3割を達成したいと考えています。
UTokyo College of Design始動…世界から選ばれる大学へ
髙宮氏:東大は世界からも選ばれる大学にならなければいけない。それには学生の国籍や文化的背景の多様性という観点も軽視できません。これについてはどのようにお考えですか。
佐藤副学長: 昨今大学院では留学生の数は急速に伸びています。留学生の女性比率は高く、大学全体としての多様性向上にも寄与しています。
その理由のひとつとしてあげられるのは、すでに大学院、特に理系は英語が主要言語になっていることです。論文を読んだり書いたりするのはもちろんですが、私の所属する理学系研究科では、日本語を母語としない学生が1人でもいたら授業は英語で行うルールがあり、日本語ができなくても言語の壁を感じる必要なく学べますし、研究できる環境にあります。それに対して学部はどうすべきかと議論をしているところです。
髙宮氏: その点では、2027年の秋からスタートするUTokyo College of Designはすべての授業を英語で行うということでも注目されていますね。
佐藤副学長: UTokyo College of Designは、世界中から多様な学生を迎え、幅広い分野の学術知とデザインを軸に、現実の社会課題に取り組むチェンジメーカーの育成を使命としています。
世界は今、これまでに経験したことがない多くの課題に直面しています。複雑な状況の中で何が最適なのかを考えるうえで、UTokyo College of Designに限らず、従来の学問体系の垣根を超えてイノベーションを生み出し、社会や環境に対して責任ある行動で、社会システムを再構築していかなくてはいけません。
しかし一方で、これまで積みあげてきた学問体系での研究を継続することも非常に重要ですし、考える土台としての必要な基礎学力を身に付けることは欠かせません。基礎学力の土台がなければ、発想すら湧いてこないからです。個人的には学生たちには、AIが進展しても、そもそもAIが何をやっているかを想像できる程度の知識はもっていてほしいと思います。
髙宮氏: 私もまったく同感です。最近では「AIで代替できるから基礎的な学習は不要」などという極端な議論もあるようですが、基礎学力の土台なくして課題解決はできない。小中高の段階で身に付ける学力は、その背景にある仕組みを知るために欠かせない足場です。仕組みの理解があるからこそ、大学での高度な研究や価値創造に繋がると考えています。
塾・予備校の果たす役割は「学ぶことの面白さを伝える」こと
髙宮氏: 入試にはどうしても合格というゴールはありますが、そこを目指す過程で身に付ける学力は、大学入学後、そして生涯にわたって学び続けるために必要な力です。読み書きそろばんから始まり、各教科の基礎基本となる知識や技能の習得という意味もありますし、教科横断する能力でいうと、読んで、考えて、表現できる力というのはAIの時代だからこそより一層大事になってくると思っています。
佐藤副学長:そもそも学ぶことってすごく面白いことですよね。全部AIに任せると面白いという感覚を味わわないまま終わってしまうのではないでしょうか。子供たち、若い人たちには学ぶことの面白さ、楽しさを知ってもらいたいです。
髙宮氏:当グループでは博士課程出身者を積極的に採用しています。研究の最前線で学んだ経験のある講師が授業の中で学問としての面白さを垣間見せると、生徒たちの目が輝くことがあるんです。
佐藤副学長:周囲の大人の影響は大きいですね。大学に入るまでにしっかりとした基礎学力を身に付けるだけでなく、学問への興味関心を引き出してくださる方がいるのは、大学教員としては大変ありがたいことです。
実は私には苦い思い出があります。私は数学が得意で、中学1年生のときに学年で1番になったのですが、そのときに先生がクラスの皆の前で「女子はそのうち成績が下がってくるから」とおっしゃったことがありました。もしかしたら男子を奮起させる意図だったのかもしれないのですが、当時の私は疑いなくその言葉を受け止めてしまいました。ただ、私の場合は「もっと頑張らないと…」と思えたのでよかったですが、中にはそんなふうに言われたらやる気をなくしてしまう人もいるでしょう。周りの大人の思い込みが子供の意欲や自信を削いでしまうこともあるなと感じる出来事でした。
髙宮氏:大人の何気ない一言が子供の可能性を狭めてしまうこともあります。だからこそ当グループの役割は、講師陣が学ぶことの楽しさを伝え、性別や地域、学校を問わず、生徒ひとりひとりに「あなたにもできる」と背中を押し続けること、挑戦を応援することが必要だと思っています。

心理的・物理的ハードルを下げる…東大の支援策
髙宮氏:東大では、多様な受験生が東大を目指せるよう、心理的・物理的ハードルを下げるために具体的に何か施策を行っているのでしょうか。
佐藤副学長: はい。東大では、受験生が直面するさまざまな“壁”を解消するため、多角的な支援を行っています。
2025年度の学部入学者から、原則、世帯年収900万円以下の地方出身学生を対象に授業料の4分の1を免除する制度を導入しています。詳細はWebサイトでご確認ください。
多様性包摂共創センターのジェンダー・エクイティ推進オフィスでは、女子中高生向けに、東大での大学生活を紹介する冊子を作成するほか、在学中の女性学生が母校、あるいはリクエストのあった全国の高校や中高一貫校を訪れ、高校生たちにリアルな東大での学生生活や受験体験を直接伝える派遣事業を実施しています。
入学してからの環境についても、SaferCampus プロジェクトという名前で、生理用品と女性の健康に関する情報カードを配布するなど、誰もが安心して自分の力を発揮できるキャンパスづくりを進めています。
地方から上京する女子学生のための「住まい支援」などもあります。初めての東京生活において、利便性が高く、セキュリティの確保された安心・安全な住まいを提供するとともに、月額3万円の家賃補助を最長2年間行っています。また、東大には女子寮はないのですが、目白台インターナショナルビレッジでは女性専用のエリアを提供し、こちらでも住まい支援を受けられるようにしています。寮は海外や全国から集まった学生同士が交流できるというメリットもあります。
髙宮氏:そうやって、自分も東大に手が届くかもしれないと感じてもらうことはとても大事ですね。一方で「公平性(DEI)を重視すると卓越性が損なわれるのではないか」という方もいます。これに対しては、どのようにお考えですか。
佐藤副学長: 先ほどまずは女性比率で3割を目指したいという話をしましたが、現状では東大では入試における「女子枠」の設置はしていません。これまでお話ししてきたような環境整備や支援を通じて、より多様な方々に活躍していただくことを目指しています。しかしこれは、女性だけに居心地の良い環境を整えるということではありません。すべての人が安心して実力を発揮できる環境で多様性を高めることがイノベーションを生み、大学としての卓越性につながると考えているのです。

あなたの挑戦が、次の誰かの"壁"を取り除く
髙宮氏:今日ここで議論してきた“壁”というテーマ自体が、10年後、あるいはもっと近い将来、「そんなことで悩んでいた時期もあったね」と懐かしく感じるような社会になっていてほしいですね。
佐藤副学長: 私も心からそう願っています。東大で学んだ多様な学生たちが、卒業後に日本、そして世界の各地へ羽ばたき、東大で身に付けた力を発揮し、学び得た知見を還元していってほしいと思います。
髙宮氏:今なお、受験生の周りでは「東大なんて無理だから地元の大学へ」「浪人しないで合格した大学に行きなさい」「女子に高学歴は不要」などといった声が聞こえてくるかもしれません。だからこそ私たちが、東大は"壁"を越えてでも行く価値のある魅力的な大学だと伝えていかなければいけませんね。そしてその"壁"は、多様な人が挑戦し、ロールモデルが増えることで、少しずつ低くなっていきます。ひとりひとりの挑戦が、次の誰かの"壁"を取り除いていくでしょう。
佐藤副学長: そのとおりですね。女性や地方出身者を含め、多様な学生が集まれば集まるほど、東大はもっと素晴らしい大学、世界からも選ばれる大学になります。ぜひ、ご自身の進路の選択肢のひとつに「東大」を入れてください。不安を感じる人もいるかもしれませんが、思い切ってチャレンジしてください。全国の皆さんが私たちの仲間になってくださることを楽しみに待っています。
髙宮氏:今日はとても楽しく、学びの多い時間でした。ありがとうございました。
固定観念を取り払うことの大切さを改めて実感した対談だった。東大と聞くと、依然として「ハードルが高い」と感じる受験生や保護者は多いだろう。しかし東大は門戸を開き、多様な人が実力を発揮できる環境を整えるべく動いている。あなたの挑戦が、東大をもっと面白く、世界から選ばれる大学へと変革していくはずだ。
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