東大生が語る東大合格後のリアル(1)…麻雀プロ・新倉和花さん

 カルぺ・ディエム代表の西岡壱誠氏が、「東大生」「東大卒生」にインタビュー。第1回目は、卒業後にプロ麻雀士という異色の道に進んだ新倉和花さんに話を聞いた。

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 東京大学(以下、東大)は、言わずと知れた日本の最高学府だ。そんな東大に通う「東大生」には、どのようなイメージをおもちだろうか。一口に東大生と言っても、彼ら・彼女らのこれまでの歩みも選び取る選択肢も、むろんさまざまだ。

 とかく「勉強ができる」イメージに覆われてしまいがちな、生身の大学生としての東大生の姿とは。

 今回は、2021年に東大を卒業した 新倉和花さんに取材。新倉さんは、東大法学部に進学後、うつ病になり、卒業後ロースクールに進学するも中退し、麻雀プロになったという異色の経歴の持ち主だ。新倉さんの人生や、親御さんの接し方について話を聞いた。

順風満帆な道のりに陰り、その時彼女は…

東大卒業後、麻雀プロとして活躍する新倉和花さん

 新倉さんの小さいころは、とにかく負けず嫌いな子供だったそうだ。

 「ありとあらゆるゲームを勝つまでやって、手抜きも許さなかったので、何度も大人に挑んで、負けたら絶対『もう一回!』と言っていました」。

 勉強はもともと得意だったが、親御さんが別段教育熱心だったということもなく、地元の中学校に進学する予定だったそうだ。しかし、小学3年生の時にたまたま受けた日能研のオープン模試で好成績を収めたところから転機が訪れる。

 「塾の方から『ぜひうちに来てみませんか』とお声掛けいただいて、体験授業に参加したんです。そうしたら、塾での勉強がすごく楽しくて。教室の真剣な空気が刺激的だったし、知識が体系化されて教えられることに感動して、親に頼んで日能研に通わせてもらいました」。

 塾で勉強の楽しさに触れ、のめり込むようになっていったという新倉さん。日能研ではトップの成績を取るようになる。親御さんは相変わらず成績を気にするそぶりはなく、勉強でとやかく言われたことは一度もなかったそうだが、のびのびと勉強できる環境が良かったのか、偏差値は常にトップクラスだったそうだ。塾の先生には『この成績なら桜蔭中学を目指しましょう』と勧められ、そのとおりの進路を選ぶこととなる。

 桜蔭中学に合格した彼女は、「一番シンプルなパンフレットだったから」という理由で鉄緑会に通い、そこでも優秀な成績をおさめたという。

 当時の夢は、法曹の道に進むことだったそうだ。

 「ドラマ『HERO』の影響と、当時読んでいた『裁判のひみつ』という本の影響で、そのころから法曹の道に進むことを目指していました。高校時代は数学が得意だったので、先生たちは理系に進むと思っていたそうですが、私は悩むことなく文系を選びました。弁護士になりたかったので」。

 桜蔭高校を卒業後、新倉さんはストレートで東大に合格。ここまでかなり順風満帆だった彼女の人生は、東大入学後から少しずつ変化することになる。

 「入学後は、小学校中学校高校と同じように、塾を探しました。司法試験予備校に入ったのですが、オンラインで受講するコースにしたんです。でもそれが間違いで。東大に入ったら、司法試験を受ける人ばかりではありませんでした。桜蔭時代は周りもみんな勉強をやっていたので自分も『やろう』という気にさせられましたが、大学に入ったらそんなことはなくて。楽しそうに遊んでいる友達もたくさんいるのに、自分だけが黙々と勉強に向かうということに耐性がないことに気づかされたんです」。

 それまで勉強でつまずいた経験のなかった彼女は、夢をかなえるはずの司法試験の勉強で苦労することになった。

 「ゼミの活動やアルバイトなど、大学でのほかの活動が楽しかったこともあって、せっかく入塾したのに法律の勉強を全然しなくなってしまいました。受講すべき講義の動画が毎週9時間ずつ溜まっていって、テキストが毎月段ボールで送られてくるのですが、それが未開封のまま部屋の隅に積み上がっていって。雪だるま式に『負債』が溜まっていく光景に心が追い詰められて、とても辛かったのに、私は見て見ぬふりを続けました」。

失意の中で出会った「麻雀」

 2018年5月、大学2年生だった新倉さんは司法試験の予備試験に落ちてしまう。20年近く生きてきた彼女の人生の中で初めて、「試験」と名の付くものに落ちた経験だった。同じ時期、お父様が末期癌の宣告を受けたことで、二重のショックを受けることとなる。

 「もう何もできませんでした。勉強しようにも文字が頭に入らなくて、何をしていても涙が止まらず、一日の大半を横になって2年ほど過ごしていました。卒業を控えた4年生の夏ごろになって、卒業単位数が足りているのかひとりでは判断できず、大学の学生相談室に聞きに行ったんです。そこで相談員の人がすごく心配してくださったんですよ。なぜかというと、自分が話しながらずっと泣いていたからで。自分にとってはいつものことだったのですが、相談員さんがその場ですぐスクールカウンセラーさんに繋いでくれて、今度はその方に『早急にメンタルクリニックに行ってきて』と言われて。言われた通りにメンタルクリニックに行ったらすぐにうつ病だと診断されて、治療を受けることができました。それまで2年も塞ぎ込んでいたのに、まさか自分がうつ病だなんて思ってもいなかったんですよね」。

 お父様の件もあるとはいえ、普通大学2年生で司法試験に合格する人はほとんどいない。にもかかわらず新倉さんがそれほどまでに打ちのめされたのはなぜだったのか。「司法試験不合格」の事実が新倉さんにとっての初めての「失敗」であり、そうした現実との向き合い方がわらなかったということではないだろうか。

 彼女への今回のインタビューで印象に残ったのは、「人生をRTAだと思っていた」という言葉だった。

 「RTAというゲームのジャンルがあるんです。ゲームスタートからクリアまでの時間を競う、Real Time Attack(=リアルタイムアタック)。これは、一回失敗すると理論的にはゴールに一番早くたどり着くことができないから、勝つためにはリセットするしかないんです。私には、自分の人生の理想がありましたが、その理想通りの道を歩めなくなった時点で、自分には価値がないと思いこんでしまったんです」。

 家に引きこもっている間、救いになったのが麻雀だったそうだ。

 「塞ぎ込むようになってから強い音や光に過敏になってしまい、好きだった映画も、音楽も、野球中継も、まったく触れられなくなってしまって。それでも唯一ずっと観ていられたのが、麻雀の放送対局でした。麻雀の中継では手牌だけが淡々と映されていて予測不可能な刺激がほとんどなく、対局のようすを眺めている間は現実の嫌なことを忘れられました」。

 新倉さんはその後、立ち直れないままで東大を卒業。その状態で社会に出ることへの不安から、モラトリアム期間を設けようという理由でロースクールを受け、早稲田のロースクールに合格。しかしそこには自分の知り合いもほとんどおらず、勉強にもついてもいけなかったうえ、病床のお父様が亡くなったことも重なって、新倉さんはますます「自分は何をしたら良いんだろう」という思いを募らせていったという。

当時を振り返り語る新倉さん

「何者でもない自分」が受け入れられた

 そんな彼女に再び転機が訪れたのはロースクール1年目の5月のこと。きっかけは、近くの雀荘に行ったことだった。

 「そこで、ものの見事に麻雀にハマってしまって。勝ち負けが好きだった自分を取り戻すことができたんです。それに、雀荘に集う人たちとの交流も自分を変えてくれました。麻雀の世界の人たちは、自分とは全然違う価値観の人たちばかりで。思えば自分はずっと、『東大生』という役割を演じていて、その役割でないと自分には価値がないと思っていたのですが、そうじゃない自分に初めて居場所ができたんです」。

 「何者でもない自分」を受け入れてもらえる場所に出会えた、ということなのだろう。東大生だった彼女は、負けず嫌いの少女だった本来の自分の姿に立ち返ることができたのだ。そして彼女は、法曹の道を諦め、麻雀プロの道に進む決意をする。周りからの反対もあったそうだが、ロースクールを辞める選択をしたのだ。

 「麻雀では、降りるのも戦略のうち」と言う新倉さん。

 「それは、今の局で負けても、次の局で挽回すれば良いから。そんな麻雀をしているうちに、『自分の人生はロースクールを辞めても終わるわけではない』ということに気づいて、受け入れることができました。やっと、『降りる』という選択をすることができるようになったんです」。

 このようにして立ち直れた彼女だが、親御さんはどのように彼女と接していたのだろうか。彼女と同じように、「失敗から立ち直れない子」は、昨今増えているように感じるが、彼女自身は、2年間の引きこもり時代に親御さんとどう向き合ってもらっていたのだろうか。

 「普通に接してもらって、それがとてもありがたかった」という新倉さんは、引きこもるまで、自身は「100点満点の人間」であり、そうでなければならないと思っていたという。しかし、挫折を味わいなかなか立ち直れなかった彼女に、お母様が告げた「弁護士になれなくても良いし、大学を辞めても良い。1年や2年休んだって良いじゃない。あなたのやりたいようにやりなさい」という言葉が、その考えを改めるきっかけとなった。「ありのままの自分」を受け入れられたと新倉さんが感じたその言葉は、彼女が再び前を向いて進むためのエネルギーとなったのだろう。

「何者でもない自分を受け入れられていると実感できたからこそ、今の自分がある」と笑顔で語る

必要とされる親の関わり方とは

 彼女は最後に、リセマム読者に多いであろう親御さんに向けたメッセージとしてこんなことを語ってくれた。

 「親御さんには、お子さんがたとえ思い描いた理想どおりの道を進まなかったとしても、その子を愛してあげてほしいです。いわゆる『できる』子の親御さんであればあるほど、知らず知らずのうちに子供に期待してしまう傾向があるように思います。しかし、もし子供が親御さんの期待どおりの行動をしなかったり、出来なかったりしても、その子のありのままを愛することが重要なのではないでしょうか。少なくとも私は、母のゆるぎない愛情を糧にできたからこそ、立ち直ることができたと感じています」。

 この話を聞いて個人的に感じたことがある。それは、「親の期待の大きさによって、子供は息苦しくなったり、逆に失敗があっても立ち直りやすくなったりする」ということだ。

 難関高校や難関大学に合格すると、そこに通う学生たちが親から非常に期待されることが多いように思う。親御さんの理想の職業と、自分の将来就くべきだと考える職業が一致している割合も非常に多く、家族の価値観がそのまま子供の価値観になっている場合が多いように感じる。そのため、どこまでいっても「親の期待を裏切らないように」と考える学生も多い。

 しかし、彼女のように、期待と違った方向に進んだ子供のことを愛してくれる親御さんさえいれば、たとえどんなに気分が落ち込むことがあろうとも、いつか必ず立ち直れるのではないかと思うのだ。

《西岡壱誠》

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