立命館大学への内部進学制度を備える立命館高等学校(以下、立命館高校)では、大学受験にとらわれることなく、生徒ひとりひとりが自らの関心や目標に向きあい、挑戦できる環境を整えている。
今回話を聞いた雀部(ささべ)颯真 さんも、立命館高校から立命館大学へと進学した卒業生のひとり。高校時代はプロ野球選手を目指し、野球部の活動に打ち込んでいたが、最後の夏を前に大きなけがを負い、その夢を断たれることとなった。失意のどん底に突き落とされた雀部さんは、留学という新たな目標に舵を切る。そして、大学の交換留学で赴いたアメリカ・カリフォルニア州立大学モントレーベイ校で米国公認会計士(USCPA)試験に最年少で合格するという快挙を成し遂げた。雀部さんの軌跡から、立命館の一貫教育がもつ真の価値に迫る。
インタビュイー(インタビューを受けた人)
雀部(ささべ)颯真 さん 立命館大学経営学部国際経営学科3年生(立命館高校出身)
プロを目指すからこそ高校から立命館へ、成長を求めた進路選択
--中学では県内屈指の強豪チームで野球中心の生活を送っていた雀部さんが、高校受験では文武両道を掲げる「立命館」を選んだ理由を教えてください。
中学時代はプロ野球選手も輩出するチームで野球に打ち込み、「高校を卒業したらプロ野球選手になりたい」と考えていました。しかし、実力のある選手との力の差を感じ始め、「自分は大学まで行き、もっと努力を重ねた上で勝負しよう」と思うようになりました。甲子園も目標でしたが、進路選択の軸はあくまでもプロへの道。その視点で、進学先を探しました。
立命館高校に決めたのは、立命館大学からプロ野球選手が継続的に輩出されていたことに加え、部活動の体験で訪れた際、選手たちが指示を待つのではなく、自分で考えて主体的に練習に取り組む姿が強く印象に残ったからです。「この環境なら自分はもっと成長できるのではないか」と期待が高まりました。

最後の大会前に訪れた突然の大けが、それでも野球を諦めなかった
--高校3年生のときに大けがをし、野球からの引退を余儀なくされましたが、当時の心境はいかがでしたか。そこから前を向くまでにどのような葛藤がありましたか。
私はピッチャーでしたが、最後の大会の1か月前に肩にけがをしてしまいました。必死にリハビリに取組み、地方大会ではなんとか登板したものの、体はボロボロで、満足にプレーできる状態ではありませんでした。それまでもたくさんつらい経験はしましたが、このとき初めて、本当の挫折というものを思い知りました。
野球を引退してからもしばらくは、「手術をして大学でも野球を続けたい」と思っていました。でも、リハビリを続けても良くなっている実感はなく、着替えるだけでも肩が痛くて、次第に「こんな体でプロになることは難しいだろう」と感じるようになりました。今後の進む道に悩んでいたとき、野球部の監督が親身に相談に乗ってくださり、「これまでの選手としての経験を生かし、今度はチームを支える立場で新しい挑戦をしてみてはどうか」とアドバイスをいただきました。それまで自分の中にはまったくなかったマネージャーという道がひらけ、大学の野球部ではマネージャーとして力を尽くそうと決意しました。
野球を引退したことで広がった視野、“留学”という新たな目標へ
--“燃え尽き症候群”に陥ってもおかしくない状況で、なぜ新しい目標に舵を切れたのでしょうか。
家族や高校の先生、野球を通してお世話になった方たちに「恩返しをしたい」という気持ちが大きかったからと思います。人生はまだまだこれからなので、一からやり直そうと決意しました。
そんな中で興味をもったのが、留学でした。日本人の野球選手がたくさん海外に挑戦しているのを見て、自分自身も将来、活躍のフィールドを世界に広げたいと思ったからです。
立命館高校はスーパーグローバルハイスクールの成果を踏まえ、英語教育はもちろん、国際交流にも力を入れています。また、JSSF(国際科学フェア)といったイベントを開催し、高校生による国際共同研究を日本全国に普及させるなど、スーパーサイエンスハイスクールとして国際科学教育にも熱心に取り組んでいます。グローバルコースの友人が模擬国連の活動をしており、私が興味を示すと「一緒にやろう」と声をかけてくれて、参加させてもらったこともありました。

高校生活の最後の数か月でしたが、多様な分野で頑張っている人たちに囲まれて視野が一気に広がり、「同じ学校に、英語で討論したり、国際的な舞台に立って英語で発表したりするすごい同級生がいる」と大いに刺激を受けましたね。
自分の英語は高校1年生からのやり直しでしたが、野球を辞めたことで覚悟はできていたので、腹をくくって英語に向きあえました。ネイティブの先生含めて先生方に、大学で留学するためには何から始めれば良いのかを聞いて回り、毎日のように英会話の練習や英文の添削などをしてもらいました。
内部進学制度を最大限に活用…高3秋から大学での留学準備に励む
--大学では経営学部国際経営学科へ進学されましたが、内部進学制度をどのように活用しましたか。
立命館大学への内部進学者向けには留学や入学前講座といったプログラムが用意されており、大学入学までの時間を有意義に使うことができました。
私は大学で海外に留学すると決めていたので、立命館大学にどのような留学プログラムがあるのかを徹底的に調べました。実際に大学に足を運び、国際教育センターで「いつまでに、どの試験で、何点が必要か」といった具体的な条件も確認しに行きました。入学前に大学と関われるのも、立命館の一貫教育があるからこそだと思います。
--留学に向けてどのような準備をしましたか。
大学入学後は最短で留学したいと思っていたので、2年生の夏から1年間の留学計画を立てました。そのためには、1年生の10月にはTOEFL iBTを受験し、基準のスコアをクリアしなくてはいけません。その基準は海外の大学で英語の授業を理解できるほどの高いレベルで、特に野球部のある大学はどこもスコアが厳しく、高校3年生の時点で英検準2級すら取れていなかった私にとっては非常に高い壁でした。
大学ではマネージャーとして野球部に所属していましたが、留学中の1年間はチームを離れることになります。「迷惑をかける以上、中途半端な覚悟ではいけない。英語の試験を突破して、絶対に留学する」と自分に言い聞かせ、高校卒業前から勉強に励みました。
まずは英検準2級、2級とひとつずつステップアップし、次の目標として掲げたのは、国際経営学科の最上位クラスへ入ること、そのためにTOEIC730点を突破することでした。 必死の努力で無事にクリアできたのですが、そのクラスは留学経験者や帰国子女が多く、最初は英語が飛び交う教室で孤立感を感じることもありました。そんなときに救いとなったのが、クラスメートたちの存在です。わからないことを快く教えてくれ、助けてくれたからこそ、限界を決めずに高められたのだと思います。

高校時代に身に付けた“逆算思考”が難関資格合格の原動力に
--交換留学先であるアメリカ・カリフォルニア州立大学モントレーベイ校で、米国公認会計士(USCPA)に最年少で合格されていますね。なぜ留学中にこの難関資格に挑戦しようと思ったのでしょうか。
1年生の4月に、大学の授業で「簿記入門」に出会ったことがきっかけです。金融機関に勤めていた両親に相談したところ、「簿記の知識はビジネスにも役立つからやってみたら?」と勧められました。日商簿記にもチャレンジし、12月には2級を取得しました。
一方で、留学中は部活動や友達づくりを大切にしたいという思いが強く、USCPAは気になっていましたが、その勉強に力を入れるつもりはありませんでした。
ところが、いざ留学してみると、財務や会計などの金融系科目を多く履修する中で、英語が流暢でなくても、会計や金融の知識があれば十分に戦えると気付きました。慣れない言語、慣れない環境の中でも、その知識が自分を守る「盾」のような存在になっていったのです。授業で高い評価が得られたことも自信につながり、それが新しい道を切り開く「剣」のような存在にもなっていったと思います。
次第にUSCPAへのモチベーションが高まり、高校時代に目標から逆算して努力する方法が身に付いていたこともあって、合格することができました。
--良い大学生活のスタートが切れましたね。
そうですね。自分にとっては、高校3年生の秋に英語の勉強を本格的に始めた時点で、すでに大学生活が始まっていたように感じます。大学4年間でやりたいことを決め、それを達成するための努力を計画的に積み重ねる。高校時代に大学生活に向けた助走期間を十分に取れていたことが、今につながっていると思います。
野球部の活動をマネージャーとして支える日々
--帰国後もマネージャーとして野球部を支え、立命館大学は「第56回明治神宮野球大会(大学の部)」で創部以来初の準優勝となりましたね。選手としての希望が絶たれたあとも、再び大学で野球に関わり続けていることは、ご自身にどのような成長をもたらしていると感じますか。
立命館大学は大学野球の強豪校なので、全国から一流の選手が集まってきます。私は選手としてその舞台に立つことはできませんでしたが、そこで戦う選手たちは何が違うのか、一流とはどういうことかを、ぜひ彼らの近くで学びたいと思いました。
マネージャーというのは、プレー以外のすべてと言っても良いくらい、あらゆる裏方業務全般を担っています。チーム運営、対戦相手の決定などの対外交渉、全国大会遠征の際の宿泊先や交通手段の手配、予算管理、メディア対応など、難しい判断を求められる場面も多く、責任は大きいです。でも、この立場だからこそ学べたことがたくさんあり、こうして野球に関わり続けることができて本当に良かったと心から感じています。

一貫教育は本気の挑戦のための“セイフティーネット”
--大学附属の一貫教育は「受験がないから学力が落ちるのではないか」と懸念する声もあります。しかし今、複数の外資系企業から内々定を受けるなど社会から高く評価されている雀部さんから見て、立命館の一貫教育にはどのような強みがあると思いますか。
就職活動を通じて、企業はその人の成熟度やポテンシャルを見ていると感じました。人として成熟し、ポテンシャルを高めるためには、人生をかけて挑戦した経験が必要なのではないかと思います。
私は野球や留学に本気で挑戦したからこそ挫折もし、ひとりでは乗り越えられない壁にぶつかったときに助けてくれる人たちと出会い、さまざまな感情を身をもって知ることができました。
そのような経験が、挫折をチャンスに変える前向きなマインドセットややり抜く力、あきらめない心、そしていろんな立場の人に共感できる力を育んでくれたと感じています。
このような貴重な経験ができたのは、間違いなく立命館の一貫教育という環境のおかげです。 私のように大きな挫折をしても、次の新しい目標に向けて再起できるのは、立命館という一貫教育がセイフティーネットになり、「そっちがダメならこっちもあるよ」といろいろな選択肢から選び直せる、何度でも挑戦を受け入れてくれる場所だからです。
立命館高校は、本気で挑戦したいことを周りが全力で応援してくれるので、私の周りにもアート、音楽、スポーツ、留学、起業など、自分のやりたいこと、好きなことに打ち込んでいる同級生や先輩、後輩がたくさんいました。
「失敗しても大丈夫」と思える十分な“余白”と、次に進むためのたくさんの選択肢に出会える環境だからこそ、今、自分のやりたいことに100%のエネルギーを注げる。これこそが、立命館の一貫教育の大きな強みではないでしょうか。
--もし大学受験があったとしたら、どのような人生だったと思いますか。
けがで野球を引退した直後に大学受験が迫っていたら、受験に向かって一生懸命努力していたと思います。ただ、「将来どうなりたいのか」という視点をもちながら、目標から逆算して計画を立て、進路を選ぶことができていたかは自信がありません。「とりあえず入れるところへ行く」という短期的な判断を繰り返す人生になっていたかもしれない。そう考えると、野球で挫折したタイミングで、自分の人生を長く、深く考える時間をもてたことはとても幸運だったと思います。
本気の挑戦は挫折しても次の挑戦に必ず生かせる
--今、挫折の中にいたり、進路に迷ったりしている高校生、そして保護者の方々へ、メッセージをお願いします。
本当にやりたいことがわからないと感じること、選択に迷うことは誰にでもあることだと思います。私もプロ野球選手への夢をあきらめたときは絶望しかなく、これからどう生きれば良いのかわかりませんでした。でもそんなときこそ、本気で挑戦している人がいる環境に飛び込んでほしいです。全力で何かに取り組んでいる同世代に触れるだけで、自然と視野が広がります。私はこの点で「立命館高校を選んで良かった」「さまざまなことに挑戦している仲間の存在に救われた」と心から感謝しています。
そしてもうひとつ大切なのは、とにかくやってみることです。すぐにやりたいことが見つかることはほとんどないと思います。「少し気になる」という程度で十分なので、まずは一歩踏み出し、成功ではなく「自分の力を出し切ること」をゴールに、出し惜しみせず努力してみてほしいです。
その過程で、挫折することもあるかもしれませんが、何かをやり切った経験は次の挑戦に必ず生かすことができると思っています。
正解・不正解は選択の瞬間に決まるものではありません。自分で選んだ道は、努力によって正解にしていくことができます。選んだ以上は、何があっても自分にとっての正解にする。その覚悟をもつことが大切だと思います。
--ありがとうございました。
大きな挫折を経験しながらも、雀部さんは立ち止まることなく、自分の中に芽生えた新たな関心に向き合い、次の挑戦へとつなげていった。雀部さんの覚悟と努力が、成功に導いたことは言うまでもない。しかし同時に、多様な興味をとことん突き詰める仲間の存在や、どのような挑戦も受け入れ、応援してくれる先生がいたこと、そして大学受験に縛られないことで生まれる時間と心のゆとり、立命館ならではの“余白”もまた、大きな影響を与えていたのだと実感した。
立命館中学校・高等学校 公式HP
