【被災地で学習支援】津波に流された英語教師の遺志、海を越えてNYに
岩手県陸前高田市で教師をしていたMonty Dicksonさん。“モンティ先生”として地元の人々に慕われ、また彼自身も地域の人々を愛していたと伝えられている。津波が彼を襲ったのは、26歳の春だった。
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岩手県陸前高田市で教師をしていたMonty Dicksonさん。“モンティ先生”として地元の人々に慕われ、また彼自身も地域の人々を愛していたと伝えられている。津波が彼を襲ったのは、26歳の春だった。
当時MontyさんはJET(語学指導等を行う外国青年招致事業「The Japan Exchange and Teaching」の略称)プログラムのメンバーとして来日しており、彼の死を知ったJETプログラム同窓生が、彼のいた町である陸前高田を支援したいと提案した。
これに端を発する支援活動は、震災から3年半がたつ今でも続けられている。
日本での運営は「一般社団法人子どものエンパワーメントいわて」が担当し、“英語の部屋”という学習支援プログラムとして継続されている。“英語の部屋”は岩手県陸前高田市の中高生を対象に、実用英語技能検定の受験費用が補助され、その対策講座を行うプログラムとなっている。また、支援活動は教室でのサポートに留まらず、限られた子どもたちにではあるが渡米プログラムも実行されているという。
「今年8月にはアメリカのニューヨーク、ピッツバーグにて異文化交流が行われ、陸前高田市の中学生、高校生から6人が選ばれて渡米しました。10日間くらいの短い期間ではありますが、これまで紙の上で勉強してきた英語が、アメリカで伝わるのか等、実体験として英語の意義を感じられるよい機会になったのではないでしょうか。また普段支援してくださっている米国JETへの挨拶もすることができました」異文化交流に同行した、同法人ボランティアコーディネーターの浅石裕司氏はこう語る。
モンティ先生の想いを大切にしながら、今後も“英語の部屋”の取組みは続けられるという。アメリカからやってきたモンティ先生の日本の子どもたちへの想いは、かたちを変えてようやく故郷に帰ってきたようだ。
《北原梨津子》
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