社会を生き抜く力を子どもに…花まる学習会代表 高濱正伸氏
2015年4月から佐賀県武雄市でスタートした、官民一体型学校指定校による新たな教育への取組み。 この官民一体教育を牽引するひとりである、学習塾「花まる学習会」代表の高濱正伸氏に、子どもの教育に対する思いや今後の教育業界への展望について聞いた。
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この官民一体教育を牽引するひとりである、学習塾「花まる学習会」代表の高濱正伸氏に、子どもの教育に対する思いや今後の教育業界への展望について聞いた。
--佐賀県武雄市での官民一体教育に携わることになった経緯についてお聞かせください。
高濱氏:教育の機会均等は、国が絶対に保証しなければいけないもの。お金がないから塾に行けないという子を放置したら、国は間違いなく壊れてしまいます。
たとえば、能力のある人にチャンスが与えられなかったりすると、極端な場合、人間は反社会的行為をはたらくこともあります。貧富の差は良い結果を生みませんし、多くの人が幸せになるには公教育が変わる必要があると思っています。
--そのような考えをお持ちの先生は、どんなお子さんでしたか。
高濱氏:3人兄弟の真ん中で、2歳上の姉はあだ名が「天才」。ものすごい博覧強記で、3年生のころには図書館の本はすべて読んだのではないかと言われるほどでした。2歳下の弟は地元では美形として有名で、私は自信のない子でいじめられていました。
私が変わるきっかけになったのは、小学3年生のときでした。「長方形が何個、隠れていますか」といった図形クイズのような問題が出され、それを解けたのは私だけでした。すると、先生がみんなの前で「できたのは、高濱くんだけでしたよ」と言ってくれて。もう頭からバーンと光が出てくるような衝撃で、勉強ができる自分に気づかせてくれました。
翌日からは、別人に生まれ変わったようでした。給食の時間に、私が踊るのをみんなが見に来るというくらい、180度変わったのです。もともとそういうキャラクターだったのが、ようやく出せるようになったのでしょう。その先生には本当に感謝しています。
--花まる学習会を立ち上げるに至った経緯を教えてください。
高濱氏:教育者になり花まる学習会を立ち上げたきっかけを簡潔に話すのは難しいのですが、学生時代の私は人生をいろいろ模索していました。混迷の10年といってもいいでしょう。
私は3回浪人し、大学で4回留年しているので、普通の人より7年遅れて29歳で卒業し、さらに大学院へ進んだので院を卒業したのは31歳でした。といっても、大学へはほとんど行っていなくて、工事現場でアルバイトをしたり、落語を聴きに行ったり、映画を見たり、旅に出たりといった日々でした。
そもそも働かなくてはいけないから、というより働かなくても生きていけるのではないかと考えているような学生でした。でも、何かやらなければいけないと思い直し、一生やっていくに値するものについて考えてみました。
すると、振り返れば自分が好きな映画は子どもが主役の作品が多く、旅に出ても、どこどこへ行って良かったというより、そこで出会った中学生や小学生とのふれあいが楽しかっただとか、子どもたちと遊んだことが一番の思い出になっていることに気づきました。
そこであらためて、子どもは可愛いし、自分は子ども好きだし、子ども相手だったら絶対に飽きないだろうと思いました。それに、20代の後半から予備校で大学受験生を教えていて、不登校の子が学校に復帰するといったことがあり、自分には子どもと関わることが向いているに違いないと自信を深めました。
そういった思いを持って就職活動を始め、1社目に訪れた先で「実はこういう塾の企画があるのですが、あなたの会社でやりませんか、私は塾の講師として活躍できますよ」と提案したところ、雇われ社長として塾をスタートすることになりました。それが花まる学習会の立ち上げ、そして教育者になった直接のきっかけですね。
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