時代が変わっても残り続けた文具の話…「ブロッター」

 「ブロッター」をご存知だろうか。かまぼこ型の木に吸取紙を巻きつけた、黒板消しに似た形の道具で用途としては余計なインクを吸い取る際に使用する。木下惠介監督作品「お嬢さん乾杯!」を題材にした東十条王子のコラム。

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「ブロッター」をご存知だろうか。「ブログとツイッター」ではない。文具の名前だ。万年筆を日常的に使われる方なら、或いは知っているかもしれない。

 かまぼこ型の木に吸取紙を巻きつけた、黒板消しに似た形の道具なのだが、用途としては余計なインクを吸い取る際に使用する。こちらの器具に「吸取紙」と呼ばれる紙をセットし、万年筆などで書いた字に押し付けてインクを吸い取るのだ。インクの渇きが早いボールペンでの筆記が主流となった現代では、目にする機会は少ない。

 このブロッターが登場する映画がある。1949年公開の木下惠介監督作品「お嬢さん乾杯!」である。本作は、戦後間もない東京を舞台に「身分違いの恋」を描いたラブコメディだ。

 自動車整備工場を経営する青年・圭三は突如、知り合いから縁談を持ち掛けられる。相手の女性・泰子は華族の令嬢だという。圭三は自分ではとても釣り合わないと言って身を引こうとするが、いざ顔を合わせてみると、すっかり彼女の虜になってしまう。相手方から結婚の承諾をもらい、有頂天になる圭三。「何か裏があるのでは」と冗談交じりに言う彼だったが、やがてその言葉が現実のものだと判明する。

 時代が時代だけに、街の所々に焼け跡が残っていたり、セリフの端々に今では使わない言い回しがあったりと、古い映画ならではの「懐かしさ」が目を引く。そんな「懐かしさ」の一つにブロッターがある。本作ほぼ唯一の文具として登場する。

 万年筆以外にも、印鑑の朱肉を吸い取る際にも使われるブロッター。しかし映画の中では、文具としての本来の使い方はされていない。

 画面に映るのはほんの一瞬だ。圭三の弟分である五郎が、圭三と二人で暮らす部屋に恋人を連れ込んでいるところを見つかったというシーン。圭三は五郎とこの恋人の仲を認めておらず、ここでも厳しい言葉を吐いて出て行ってしまう。部屋に残された二人。堪らなくなった恋人がつい零した涙を、五郎がサッと拭き取る。ハンカチではなく、手近にあったブロッターを使って。

 圭三たちが特別に書きものをする場面は無い(終盤に手紙は登場するものの)。だが、そんな彼らの部屋でふとした拍子に手に取れる位置にあるほど、ブロッターは当時、一般に普及していたようだ。

 同じような「懐かし」アイテムがもう一つ。アナログレコードだ。こちらは物語上重要な要素として、ブロッターより目立つ形で登場する。レコードは近年、モノとしての価値が見直され世界的なブームだと言われている。奇しくも、万年筆もまた同様に若者を中心としたブームが囁かれている。

 電子データで音楽が聴け、親指の動きだけで活字を残せる時代に、何故時代と逆行したような古い(≒不便な)モノが人気を呼ぶのか。その魅力を語る言葉には共通して「温かみ」「味」といったものが見受けられる。そもそも70年前の映画を観た時に「いいな」と思う気持ちの動きにも、これらの言葉は少なからず含まれているのではないだろうか。

 では、この映画は「懐かしさ」を楽しむことしか出来ないのかと言われれば、決してそんなことはない。むしろ物語を通して語られるテーマは現代の私たちにも訴えかけてくるものがある。それは時代や文化の影響を受けない普遍的なものとなっている。是非ご自身の目で確かめていただきたい。

 話をブロッターに戻そう。

 すっかり過去の遺物のように語ってしまったが、この文具、実は今でも割と手軽に入手できる。形が洗練され現代的になっていたりもする。万年筆が使われなくなってからも普遍的に存在してきたのだ。

 更にコクヨの製品として、ブロッターに装着するための吸取紙が現役で販売されている。取り付けるブロッター本体が無くとも吸取紙単体で使用することが可能で、万年筆ユーザーの中には折り畳んだり、程よいサイズに裁断するなどして手帳に挟んで持ち歩いている人もいるようだ。

 決して目立つ存在ではないものの、他の筆記具や電子機器の台頭にも負けず、吸取紙は幾年月も販売され続けてきた。カタログの隅でひっそりと佇むその姿からは「温かみ」「味」といったものに似た何かを感じられはしないだろうか。

吸い取るのはインクだけじゃない。時代が変わっても残り続けた文具の話

《東十条王子》

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