【無料試し読み】子供目線で描く中学受験小説『きみの鐘が鳴る』(8)

 2022年11月9日に中学受験を子供目線で描いた小説『きみの鐘が鳴る』(ポプラ社)が発売された。ポプラ社の提供を受け、この『きみの鐘が鳴る』の一部を掲載する。

教育・受験 小学生
『きみの鐘が鳴る』
『きみの鐘が鳴る』 全 1 枚 拡大写真
 2022年11月9日、中学受験を子供目線で描いた小説『きみの鐘が鳴る』(ポプラ社)が発売された。リセマムでは著者の尾崎英子氏にインタビューを実施、この作品に込めた思いを聞いた。

 ポプラ社の協力のもと、リセマムでは、読者限定で本書の一部を無料で公開する。予定調和では終わらない、ときに残酷でリアルな、4つの家庭の「中学受験」の行方はいかに…。

 前回のお話はこちら
きみの鐘が鳴る (teens’ best selections 63)
¥1,760
(価格・在庫状況は記事公開時点のものです)





第二章 真下つむぎ(五月) 1-2



 翌朝。
「はい、これ」

 玄関でスニーカーを履いていると、水筒を差し出される。ママに首からストラップを引っ掛けられたけれど、つむぎはすぐに一歩踏み出す気持ちになれなくて、壁に飾ってある海の写真に目を向けた。

 フリーのカメラマンをしているママが撮った写真だ。ハワイ島の海らしい。つむぎが三歳の時に家族で行ったと聞いているけど、こんなきれいな海の景色なんて覚えていない。
「いってきます」

 どんなに成績が下がっても、朝は来る。学校にも行かなくてはいけない。

 家を出ると、意識を右肩にあるカメラに移して本当の自分が見ているモードにチェンジ。自分の身体はアバターで、本当の自分は透明になって、カメラ越しに世界を観察する。

 心の中でなら穂月をディスることができるが、面と向かっては何も言えない。だから学校には行きたくない。でも行かないとママが心配して面倒くさい。成績も下がっているのに、不登校なんて許されない。
「おはようございます! 」

 正門の前で校長先生と警備員さんが大きな声で挨拶してくるのを横目に、つむぎはのろのろと校内へ入る。登校時間ギリギリだから、一年生や二年生らしき小さい子たちは走っていく。

 自分の靴箱の前に来る。上靴を取ろうとしたら…なかった。またですか。

 この間みたいに、忘れ物置き場の箱に入れられているのだろうか。六年生の靴箱のある西昇降口から東昇降口に移動して、忘れ物置き場の箱の中を見たけれど、今日はそこになかった。来客用の靴箱の中にもないし、金魚の水槽のあたりにもない。

 上靴を借りに職員室に行った。担任の長津田には知られたくないから事務の人に言ったのに、長津田に報告されてしまう。
「おお、真下。上靴、忘れたっていうけど、今日は火曜だろう。昨日はどうしたんだ? 」

 どうしたって訊いてくるけど、この人に何かを解決しようという気持ちがないことくらい知っている。
「忘れたんじゃなくて、たぶん隠されました」

 それでも、どう出てくるのか観察したくて、アバターにそう言わせる。
「隠された? 誰に? 」

 半袖のポロシャツ姿で腕組みをしてこちらの顔を覗き込んでくる。もう夏気分? 早くないですか? 無駄に元気だけは良いんだな、とアバターのうしろの自分が笑う。
「知りません」
「心当たりは? 」

 先月、帰ろうとしたらスニーカーがなくなっていたので相談した時に、穂月のことを言ったんだから、訊くまでもないじゃん。
「和田さん」
「えっ、和田穂月か? 彼女がやったという証拠はあるの? 」
「…ないです」
「そっか。じゃあ、なんとも言えないな。とりあえずもう授業始まるし、貸すから。靴のサイズは? 」
「二十三センチ」

 ほらね、やっぱり解決する気なんてない。

 つま先に『学校用』と書かれた上靴を履くと、粘土でもくっついているんじゃないかと思うほど一歩が重く感じられて、三階まで上がりきると息が上がった。教室の前から入って、廊下側の前から二番目の席にランドセルを置いた。長津田がまだなので、クラスの中は騒々しい。

 うしろのほうであの声が聞こえる。もっとも避けたい声なのに、どんなにうるさくても耳がキャッチしてしまう。

 その声が近づいてくる。来るな。つむぎは一時間目の国語の教科書とノートと筆箱を出しながらも、背後に意識が向いている。こっちに来るな。
「うざっ」

 頭の上で小さな声が言った。通りすぎる時に、机の上に置いてあるランドセルを軽くその身体で押され、中に入っていたノートが滑り落ちた。

 つむぎは落ちたノートを拾いながら、目をぎゅっと瞑った。手が震えていた。違う。アバターなんだから、震えなくても良いんだから。怖がることなんてないんだ。ゆっくりと息を吐いた。


《編集部》

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