エンジンの力で宇宙に挑む 起業家・平井翔大が立命館で学んだこと

 2012年から10年間、スーパーサイエンスハイスクールに採択され、将来へのモチベーションを膨らませる科学教育を推進している立命館慶祥中学校・高等学校。「世界に通用する18歳」をスローガンに掲げ、グローバル人材の育成に力を入れている。同校の卒業生で、宇宙関連ビジネスのスタートアップ創業者・平井翔大氏に、中高での学び、大学進学、研究、起業に至るまで、そして未来の展望について話を聞いた。

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立命館慶祥中・高校を経て、北海道大学院在籍中に、「Letara(レタラ)」を設立した平井翔大氏
立命館慶祥中・高校を経て、北海道大学院在籍中に、「Letara(レタラ)」を設立した平井翔大氏 全 6 枚 拡大写真

 北海道札幌市と千歳市のおおよそ中間に位置し、豊かな自然に囲まれた立命館慶祥中学校・高等学校。2012年から10年間、スーパーサイエンスハイスクールに採択され、将来へのモチベーションを膨らませる科学教育を推進。「世界に通用する18歳」をスローガンに掲げ、世界を舞台に活躍できる人材の育成に力を入れている。

 同校の卒業生であり、宇宙関連ビジネスで今注目のスタートアップ(新興企業)創業者・平井翔大氏に、中高での学びがどのように大学進学、研究、起業へとつながったのか、そして未来への展望について話を聞いた。

平井翔大氏プロフィール:京都市生まれ。稚内市、砂川市、札幌市と北海道で育つ。立命館慶祥中学校・高等学校を経て、北海道大学へ。固体燃料と液体酸化剤を使うハイブリッドロケットの開発の先駆者、永田晴紀教授に師事。大学院在籍中の2020年に、宇宙関連スタートアップ(新興企業)「Letara(レタラ)」(札幌市)を設立。


立命館慶祥を志したのは、父のひとこと

--立命館慶祥中学校に進路を決めたのは、いつごろ、どのようなきっかけでしょうか?

 立命館慶祥中学校を受験しようと思ったのは、父の影響です。小学5年生までは勉強はそっちのけでサッカー一色。札幌市の選抜選手にも選ばれ、「自分はサッカーで生きていくぞ」と思うくらい頑張っていたのですが、運動会で体調を崩し、そのまま1か月間ほど入院することに。検査の結果、腎臓の病気が判明し、サッカーどころか横断歩道を走ることすら禁止という厳しい制限下での生活に一変してしまいました。大好きなサッカーができなくなり、もぬけの殻になってしまった…そんな僕に父が提案してくれたのが、中学受験でした。

 父は京都出身で、京都の大学の附属校が北海道にあると知って嬉しかったようで、立命館慶祥中学校の受験を勧めてくれました。本格的に受験勉強を始めたのは6年生からでしたが、わが家では塾でも家庭教師でもなく、父が勉強を見てくれました。当時を振り返ると、勉強自体が楽しかったという思い出はあまりないけれど(笑)、仕事で忙しいのに、毎晩隣に座って一生懸命教えてくれる父を喜ばせたかったという気持ちでいっぱいでしたね。

 遅いスタートだったことや塾へ行かなかったことで、入試本番でも解けない問題がいくつもあり、悔しい思いをしました。でも、父のおかげで無事に立命館慶祥中学校に合格することができました。

「立命館慶祥中学・高校で過ごした6年間に『世界に目を向けよう』という意識が培われた」と振り返る平井氏

立命館慶祥だからこそ体験できたこと

--入学後はどのような学校生活を送りましたか。

 病気が回復して運動の制限がなくなったので、サッカーを再開しました。また、入学してみると、周りの多くは小学生のころから塾に通っていて、入試の時に味わったような自分の学力不足をあらためて痛感させられたんです。だからこそ、「ここで生き残るには、何か突出しなければ」と思い、サッカーだけでなく、勉強でもものすごく努力をしました。サッカー部ではキャプテンをやり、勉強では全教科オール5を取り、そしてちょっとだけ恋もして(笑)、忙しいけれど充実した毎日でしたね。

--立命館慶祥で今でも役立っていると感じるような魅力的な授業はありましたか。

 僕は中学、高校でも塾には通わず、学校の授業でわからないところがあればその都度先生に聞きに行き、教えてもらっていました。そのおかげで北海道大学に現役で合格できたので、立命館慶祥での授業すべてが今の自分につながっていると言っても過言ではないのですが、それでもあえてひとつあげるとすれば、英語の授業ですね。ネイティブの先生に教わったり、留学生と同じ教室で学んだり、高校生の時には校内のスピーチコンテストに出場して3位に入賞し、1・2位の英語が流暢な帰国子女に続いて自分が選ばれたので自信も付きました。そうやって日常的に英語でコミュニケーションする機会があったことで、「世界に目を向けよう」という意識が培われ、今まさに宇宙というグローバルなビジネスに取り組むための基盤ができたんじゃないかなと思います。

--学校行事では、どんなことが印象に残っていますか。

 中高を通じて印象的だったのは、2回にわたる「海外研修」です。1回目は中学3年生の時に体験したニュージーランドでの2週間のホームステイ。まだ英語に自信がないのに、たった1人で現地の家に放り込まれる感じでした。しかもニュージーランドって“letter”が「リター」といった具合に、同じ英語圏でもアクセントが独特で、「え? リターってガソリンのこと?」(笑)みたいに最初は全然会話の内容がわからなかったんです。それでもホームステイ先が温かく受け入れてくれて、その家の子供たちとも楽しく遊んでいるうちにコミュニケーションが取れるようになったことが本当に嬉しかった。言葉も文化も違う人たちと過ごす面白さを体験できました。

 高校での2回目は、ドイツやアメリカという選択肢もあったものの、せっかくならこの先の人生で行く機会がなさそうなところにしようと思い、モルジブを選びました。モルジブ研修のテーマは環境問題。僕はそのコースのサブリーダーだったのですが、リーダーがインフルエンザで来られなくなってしまい、急遽代役でリーダーに。リーダーとしての仕事は非常に多く、モルジブの環境省へ行ったり、現地の学生とサッカーを通じて交流したり、今や北海道で夏の風物詩となっている「YOSAKOIソーラン」の演舞を披露したり。さらに、迷子になったメンバーを探すというハプニングもありましたし、帰国後には報告会で発表しなければならず、どこへ行ってもひたすらメモ。メモ帳が足りなくなってしまい、あとは気合いで暗記(笑)。周りのみんなは楽しんでいるのに、僕は毎日必死でした。けれどここでも、つたない英語であっても、伝えたい気持ちがあれば相手にちゃんと伝わるんだと実感できた。これも貴重な体験でしたね。

--今日は平井さんのオフィスにもお邪魔しましたが、多国籍な雰囲気ですね。海外研修は、そんな今の平井さんにつながる原体験だったのではないでしょうか。

 本当にそう思います。現在の共同経営者はアメリカ人ですし、社内ではイスラエルやイタリア、アメリカ、スペインなどさまざまな国籍のメンバーが働いていて、英語が飛び交っています。ビジネスの相手も日本人とは限らず、非常に多様なバックグラウンドの人たちです。

 立命館慶祥に入学したおかげで、それまでの自分にはまったく縁がなかった世界を知ることができた。あの2度の海外研修がなければ今の自分はなかったんじゃないかと思うほど、グローバルな環境でコミュニケーションの場数を踏めて、英語を話すことも、そして相手が誰であっても自分は大丈夫だって思えるようになりました。これは人生を変えるくらいのインパクトがある、かけがえのない原体験だったと思います。

多国籍なメンバーで常に英語が飛び交う和気あいあいとした雰囲気のオフィス

宇宙に興味をもったきっかけ

--ところで、何がきっかけで宇宙に興味をもつようになったのですか?

 宇宙に興味をもったのは、小学5年生で病気になった時です。1か月間の入院中、病室で退屈しないように、母が『地球大進化』という漫画を買ってきてくれたんです。なぜ地球ができたのか、なぜ生命が誕生したのかなど、最新の科学理論に基づきつつ、地球と生命の歴史を分かりやすく解説したもので、夢中になって読みました。初めて宇宙って面白いなと思ったのはその漫画がきっかけでした。

--なぜ北海道大学を目指したのですか?

 進路については、病気を患った経験から医学への興味もあり、一方で宇宙への強い関心もあって、どちらに進むべきか決めかねていました。北海道大学には、入学後に専門分野の入門に触れてからどの学部に進むかを決められる「総合理系」というコースがあったので、悩んでいる自分にはちょうど良いと思い、受験することにしました。

--立命館慶祥ではどのような進路指導を受けましたか?

 高校1年生から2年生への進級時に「立命館大学進学」「東大・京大・医学部受験(SP)」「他大学受験」の3つのコースから選ぶことになっており、僕はSPコースを勧められました。ところが、SP コースでは勉強が忙しくて部活が続けられないと言われたので、僕は大好きなサッカーと勉強を両立したくて「他大学受験」のコースを選びました。

 立命館大学でも宇宙工学は学べるのですが、あえて「立命館大学進学」コースを選ばなかったのは、先ほど言ったように医学への興味も捨てきれず、他大学受験の可能性を残しておきたかったからです。

--北海道大学に入学したあと、なぜ宇宙について学ぼうと決めたのですか?

 どの学部に進みたいかを見極めようと、1年生ではいろんな授業を受けました。そこで、ある工学部の先生からめちゃくちゃ難しい方程式を見せられ、「工学部に来たらこれが解ける」って言われた瞬間、ビビビッと来てしまって(笑)。直感的に「解きたい!」という思いに駆られ、「じゃあ、工学部に行こう」と。さらに工学部の中を調べていくと、機械・宇宙工学の研究室があったので、「よし、ここだな」と気持ちが固まりました。

--永田晴紀教授の研究室に所属し、現在の共同経営者であるケンプス・ランドンさんとの出会いもありましたね。そこではどのような研究に取り組んでいたのですか?

 永田先生はハイブリッドロケット業界では世界のパイオニア的存在です。ハイブリッドロケットとは個体の燃料と液体の酸化剤を使って飛ばすロケットで、高い安全性と価格の安さが注目され、大学だけでなく民間企業でも活発に開発が進められています。

 共同経営者であるランドンも、永田研究室のメンバーの1人です。彼には、アメリカの陸軍情報士官としてアフガニスタンに派遣された経験があります。彼はそこで、自分が軍事用の衛星を利用してインターネットに接続できた一方、一般市民は接続できないという格差を目の当たりにします。そこから、世界中の人々が自由に宇宙インフラへアクセスできる未来をつくりたいと考え、永田先生の論文に巡り合い、北海道までやって来たのだそうです。

 永田研究室では、よりコンパクトな衛星を安価で安全な形で飛ばせる環境をつくり、宇宙空間で人やモノがもっと自由に移動できる未来を目指した研究が進められています。ランドンと僕も二人三脚で研究を行い、2人で共同執筆した論文はアメリカの航空宇宙学会(AIAA)で最優秀論文賞を受賞しました。AIAAは、NASAやスタンフォードといった有名な研究機関が参加する業界トップの学会です。つまり、僕らの研究成果が世界で認められたのです。

平井翔大氏と共同創業者ケンプス・ランドン氏

宇宙を舞台に活躍するロールモデルに

--大学で研究者になるという選択肢もある中で、なぜ起業しようと思ったのですか?

 日本には優れた基礎研究がたくさんあるにもかかわらず、研究が研究で終わってしまい、多くが社会実装に至っていません。これは航空宇宙の分野でも同じ課題を抱えています。

 実は僕、子供の頃から「誰もやらないなら自分がやる」というタイプなんです。だからなのか、「永田研究室での研究が事業化されないなら自分がやろう」と思ったんですよね。とはいえ、社会実装するに当たってはアイデアが必要なので、ランドンとは3~4年かけて、何度もブレインストーミングを重ねました。そしてようやく2020年に設立したのが、北海道大学発のスタートアップ企業「レタラ(Letara)」です。レタラとは北海道の先住民族アイヌの言葉で「真っ白」という意味。北海道の冬の雪景色のイメージと、スタートアップとしての新しさ、そして将来的にどんな色にでもなれる「可能性」を秘めている、といった意味を込めています。

--レタラはどのような企業ですか?

 “Beyond the Earth, Faster and Further”(地球以遠へ、より早く、そして、より遠くへ)というビジョンを掲げています。

 今、世界では、宇宙へと経済圏の拡大を目指す動きがあります。月や火星にステーションが建設される未来は遠くないかもしれない。そうなると、必要になるのが宇宙空間での輸送手段です。特に最終目的場所までの輸送、「ラストマイル輸送」が将来の宇宙経済にとってきわめて重要になってきます。ところが今は、宇宙空間で移動するには高コストで、しかも爆発性のある危険な燃料を使わざるを得ないのが現状です。そこで僕らは、安全かつ小型で低価格、そして制御可能な推進システムを開発しています。固体燃料と液体酸化剤を組み合わせたもので、固体燃料は手でつかめるほど安全で、液体酸化剤も人体に害はないものを使っています。これは将来、人やモノが宇宙で経済活動を行う上での主力になると考えています。

 レタラのおもなターゲットは、人工衛星の打ち上げや利用を進めている国・地域や企業で、主要な顧客は今のところ国内のメーカーが中心です。けれど今後は、イーロン・マスクが手がける「スターリンク」など、世界の大手にも採用されるようになればと思っています。

北海道大学発のスタートアップ企業「レタラ(Letara)」を2020年に設立。レタラとは北海道の先住民族アイヌの言葉で「真っ白」という意味

--未来への期待が膨らみますね。将来はレタラをどのように成長させていきたいですか?

 今お話ししたように、僕らのターゲットは海外であり、もはや国内ではなく世界を相手に戦っていく必要があります。そのためには今後も一層、グローバルなネットワークを広げていかなくてはいけません。特に、人工衛星の打ち上げが多いアメリカとは、協業や連携を進めていきたいと思っています。

 そうやって北海道発のグローバル企業へと成長させ、世界中から「レタラで働きたい」と思われるような企業にしたい。特に今、北海道では、工学部に関しては約9割が道外へ就職するというのが実情で、このままだと北海道に優秀な人材が残らないし、経済も弱くなっていく一方です。レタラがそうした学生の受け皿になり、北海道の経済にも貢献していけたらと思っています。

--最後にあらためて、今だからこそ平井さんが感じる立命館慶祥の魅力についてお聞かせください。

 立命館慶祥には、自分の可能性に挑戦する選択肢がたくさんあります。そして自然と、視座が高まり、広がる環境が整っています。僕はその環境に身を置けたおかげで、今こうして世界と戦うための準備ができたのだと確信しています。「世界に通用する18歳」には間に合わなかったけれど、「世界に通用する31歳」にはなれたんじゃないかな(笑)。1人でも多くの後輩に憧れてもらえるような、世界を超えて宇宙を舞台に活躍するロールモデルになりたいです。

「立命館慶祥には、自分の可能性に挑戦する選択肢がたくさんあります。そして自然と、視座が高まり、広がる環境が整っています。その環境に身を置けたおかげで、今こうして世界と戦うための準備ができたと確信しています」

--まさに“Beyond the Earth”ですね。ありがとうございました。


 北海道から世界を飛び越えて、宇宙へと活躍の場を広げている平井氏。立命館慶祥でのエピソードを通じて、どのように「世界に通用する18歳」が育っていくのか垣間見えた。世界に羽ばたく子供たちの良きロールモデルとなりそうだ。

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取材・撮影場所:独立行政法人中小企業基盤整備機構 大学連携型起業家育成施設(北大ビジネス・スプリング)

《工藤めぐみ》

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